神聖ローマ帝国の国旗
国旗の基本情報 |
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採用国 | Holy Roman Empire(神聖ローマ帝国) |
採用年 | 15世紀頃(ハプスブルク家の帝位定着後) |
縦横比 | 不定(軍旗・皇帝旗など用途によって異なる) |
デザイン |
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色の意味 |
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備考 |
双頭の鷲は東西両世界への権威を示すとされ、東ローマ帝国からの継承を主張。 |
黒地に金の双頭の鷲――この堂々たる旗は、あの神聖ローマ帝国を象徴するもの。中世から近世にかけてヨーロッパの大部分を覆ったこの帝国には、現代のような「国家」としての国旗は存在しませんでした。でも、その代わりに掲げられた皇帝旗や帝国旗には、当時の皇帝観、国家観、宗教観が色濃く込められていたんです。この記事では、神聖ローマ帝国で使われた旗のデザインや色の意味、そして歴史的な背景をわかりやすく紹介していきます!
神聖ローマ帝国は、962年に東フランク王オットー1世がローマ皇帝として戴冠されたことで始まった、ヨーロッパ中部の多民族・多国家連合体。
「神聖」「ローマ」とはいうものの、実態はかなり複雑で、ドイツ語圏を中心に大小300以上の領邦国家がゆるやかに連なった“帝国もどき”ともいえる構造でした。
でも、その“ゆるいまとまり”の象徴として必要だったのが、皇帝を中心とする帝国のシンボル。その一つがまさにあの黒と金の鷲の旗だったんです。
神聖ローマ帝国では、明確に「これが国旗です!」という決まりはなかったんですが、皇帝の公式なシンボルとして使われた旗が、実質的な“国旗”的な存在となっていました。
その中でももっとも有名なのがこれ:
この2つ、実はそれぞれ意味が違うんですよ!
金色の背景に黒い双頭の鷲は、神聖ローマ皇帝の個人の旗(皇帝旗)として使われました。
双頭の鷲は、もともと東ローマ帝国(ビザンツ)から受け継がれたモチーフで、次のような意味が込められています:
つまりこの双頭の鷲は、皇帝が宗教と政治の両方の頂点に立つ存在であることを示していたんですね。
一方で、黒地に金色の単頭の鷲は、神聖ローマ帝国という「体制全体」を表す旗として使われました。
これは特に帝国議会や共通軍、外交使節の場で使われることが多く、「皇帝」ではなく「帝国全体の意思」を示すものでした。
この違いって、なんとなく現代の「国家元首の旗」と「国旗」の使い分けにも近いかもしれませんね。
神聖ローマ帝国の旗に使われているのは、黒と金の2色。この配色にも、ちゃんと皇帝と国家の性格が反映されていました。
黒は、帝国における秩序・法・統治の象徴。また、ドイツ騎士団や神聖ローマ帝国の諸侯が好んで使った色でもあり、厳粛さや伝統のイメージがありました。
金色は、神の加護・皇帝の神聖な権威・正統な継承を示す色。
教皇や東ローマ皇帝も金を用いていたように、「皇帝の正当性」を示すカラーだったんですね。
この2色は、のちのドイツ帝国やオーストリア=ハンガリー帝国にも引き継がれていくことになります。
現代オーストリアが、神聖ローマ帝国のような「双頭の鷲」ではなく「単頭の鷲」を政府旗や国章に使っているのは、帝国ではなく「共和国」だからです。双頭の鷲は「帝国の象徴」なわけですが、オーストリアは1918年の第一次世界大戦後に帝政が崩壊して共和制に移行しました。
だから「帝国からの決別」と「自由で独立した国民国家」としての新しいアイデンティティ」を表すために、あえて頭がひとつの鷲を使うようになったんですね。
神聖ローマ帝国の旗は、いわゆる「国旗」ではなかったけれど、皇帝の権威・宗教との結びつき・そして帝国という構造の曖昧さを見事に表していました。
双頭の鷲は、宗教と政治の両方に顔を向ける存在。
黒と金の配色は、伝統と神聖性のバランス。
そしてその旗は、帝国という一枚岩ではない複雑な集合体の“象徴”だったんですね!
だからこそ、神聖ローマ帝国の旗はただのデザインじゃなくて、中世ヨーロッパそのものを表すアイコンといえるのです!