パレオロゴス朝ビザンツ帝国の国旗
国旗の基本情報 |
|
---|---|
採用国 | Byzantine Empire(ビザンツ帝国/パレオロゴス朝) |
採用年 | 13世紀後半(パレオロゴス朝成立以降) |
縦横比 | 不定(軍旗・皇帝旗・宗教旗などで異なる) |
デザイン |
|
色の意味 |
|
備考 |
「Β」文字4つは「Βασιλεὺς Βασιλέων Βασιλεύων Βασιλευόντων(王の中の王、王たる者の王)」の略とされる。 |
十字に並ぶ4つの「Β」の文字、そして皇帝色の赤地――ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の旗といえば、いちばんよく知られているのがパレオロゴス朝時代のデザインです。正式な「国旗」という概念はなかったけれど、儀式や戦場で使われた皇帝や国家の象徴旗には、東ローマ世界の精神・信仰・権力がびっしり詰まっていました。この記事では、ビザンツ帝国の旗の特徴や由来、色やシンボルの意味について、じっくり解説していきます!
ビザンツ帝国は、古代ローマ帝国が東西に分裂したあとの東側の継承国家で、首都はコンスタンティノープル(今のイスタンブール)。
古代ローマの文化と政治を引き継ぎつつ、キリスト教とギリシャ文化をベースに独自の“ローマ的キリスト教帝国”として発展しました。
西ローマ帝国が5世紀に滅びたあとも、ビザンツはなんと1000年以上も続いた超ロングラン帝国。その長い歴史の中で、使われた旗やシンボルも時代ごとにちょっとずつ変わっていったんですね。
中世のビザンツ帝国には、現代のような国を代表する統一された「国旗」というものは存在していませんでした。
その代わりにあったのは、皇帝家の紋章旗や軍団・宗教儀式に使う象徴旗。つまり、ローマやキリスト教の権威を背負った「誰のための旗か」が重要だったんです。
そんな中、最もよく知られているのがパレオロゴス朝(1261~1453年)で使われたとされる「四つのΒの旗」です。
この旗は、赤地(または紫地)に十字、そしてその四隅に4つのギリシャ文字「Β(ベータ)」が配置されたデザインで、皇帝や帝国の象徴として儀式や軍旗などに使われました。
この「ΒΒΒΒ」は、実はあるギリシャ語の頭文字の略なんです。よく言われる説はこれ:
Βασιλεὺς Βασιλέων Βασιλεῖ Βοήθει(バシレウス・バシレオン・バシレイ・ボイセイ)
=「王の中の王よ、王を助けたまえ」
つまり、神が皇帝を助けるように祈る文句。東ローマ皇帝は神の代理人(バシレウス)とされていたので、この旗は宗教と政治が一体化した帝国のシンボルだったんですね。
ほかにも、4つの「火打ち金」や「剣」として描かれるバージョンもあり、そこでは:
Βασιλεὺς Βασιλέων Βασιλεύων Βασιλευόντων
=「王の中の王、すべての王たちの王」
という風に、皇帝の絶対的な威厳を称える意味として読まれることもあります。
ビザンツ帝国では、紫や深紅は皇帝にしか許されない色。 とくに紫に染められた布は超高級で、皇帝やその家族の専用でした。赤い旗に金色でシンボルを描くデザインも、神聖で強い権威を表現していたんです。
中央に描かれた金の十字は、当然ながらキリスト教のシンボル。ビザンツ帝国はローマ帝国の正統な後継者かつキリスト教世界の中心を自認していたため、信仰の中心に十字を据えるのはごく自然なことだったんですね。
ビザンツ帝国の「四つのΒ」旗は、神の代理人としての皇帝と、信仰による国家の統合を同時に表現したシンボル。
赤や紫は皇帝の威厳、十字は信仰の中心、そしてΒΒΒΒは神の加護を求める帝国の祈り。
ビザンツの旗は、ただの軍旗や装飾じゃなくて、世界をどう見るか、国家とは何かという思想そのものだったんですね!