ラトビアの国旗
国旗の基本情報 |
|
---|---|
採用国 | Latvia(ラトビア) |
採用年 | 1990年(ソ連からの独立回復に伴い再採用) |
縦横比 | 1:2 |
デザイン |
|
色の意味 |
|
備考 |
世界でも有数の古い国旗の一つとされ、1280年頃の記録に登場。 |
ぱっと見、赤と白の横じまだけど、どこか“普通の赤”じゃない…?
ラトビアの国旗って、実はヨーロッパ最古級のデザインとも言われる、超伝統ある旗なんです。しかも、このちょっとくすんだ赤には、伝説級の由来があるんですよ!この記事では、ラトビア国旗の色の意味や起源、似たデザインとの違い、そして国の歴史とのつながりをわかりやすく紹介していきます!
ラトビアは、バルト三国の真ん中にある国で、北はエストニア、南はリトアニアに挟まれています。西側はバルト海に面していて、首都はリガ。歴史的にはドイツ騎士団、スウェーデン帝国、ロシア帝国、ソ連と、いろんな大国の影響を受けてきた土地なんです。
でもその中でも、ラトビア人たちは自分たちの言葉と文化、誇りを守り抜いてきました。そしてその「変わらない象徴」が、まさにこの国旗なんです。
ラトビアの国旗は、上と下が赤、中央に白の細い横じまというシンプルな構成。でもこの赤、ちょっと普通の赤と違って、茶色がかった“深紅(ディープレッド)”なんです。ここに、ラトビア人の誇りと痛みがギュッと込められてるんですよ。
この深紅色には、祖国のために流された血という意味が込められています。自由や独立を守るために戦った人々、特に第一次・第二次世界大戦やソ連時代の弾圧で犠牲になった市民の記憶が、今もこの赤に刻まれているんです。
中央の白い帯は、希望や光、そして正義や純潔を象徴しています。深紅に挟まれた白は、まるで暗い時代の中に差し込んだ希望の光のよう。ラトビア人にとっては、どんな困難の中でも「希望だけは失わない」という信念の色なんです。
ラトビアの国旗には、こんな伝説が残っています。
昔、あるラトビアの戦士が負傷して布に包まれ、その血で布の両端が染まった。でも、真ん中は体の下で白く残っていた―― その布が掲げられたところ、敵に勝利した。
この話が国旗のルーツになったと言われていて、自分たちの血と誇りで作った旗ってことなんですね。
ラトビア国旗はオーストリアとちょっと似て見えるけど、実は赤の色味も白帯の太さもぜんぜん違うんです。そして、オーストリアの赤は明るめ、ラトビアは落ち着いた深紅。これはラトビア国旗ならではの“渋さ”ですね。
ラトビアの国旗は、ヨーロッパでもかなり古い伝統を持つと言われていて、ちゃんと記録に残っている国旗としては1279年が最古なんです!
1279年、ラトビアの都市ツェーシス(Cēsis)の戦士たちが使っていたという記録があって、このデザインはすでに中世の騎士団旗として存在していました。当時から民族の旗として意識されていたって、すごいですよね。
ラトビアが第一次世界大戦後に独立した際、この伝統的な旗が正式な国旗に採用されました。つまり、国としての誕生とセットでこの旗も“現代バージョン”として復活したんですね。
1940年にラトビアがソビエト連邦に併合されると、国旗もソ連式の赤い旗に変えられました。上部に青い波線と、金色の鎌と槌が入ったデザインで、ラトビアの伝統色は完全に排除されてしまいます。
ソ連の崩壊が近づく中、1990年にラトビアは再びこの深紅と白の伝統旗を掲げて独立を宣言しました。そして1991年、正式に国際的な承認を受けて再独立。
あの赤い色が祖先の誇りとともに帰ってきた瞬間だったんです。
ラトビアの国旗は、見た目はシンプル、でも意味はめちゃくちゃ重い旗なんです。深紅は流された血と民族の犠牲、白は希望と純潔。そして何より、この旗は中世から現代まで続く「自分たちのしるし」。
奪われても、押しつぶされても、旗を掲げて立ち上がる力。ラトビアの人たちがこの旗に込めた想いは、ずっと色あせないんですね!