エストニアの国旗
国旗の基本情報 |
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採用国 | Estonia(エストニア) |
採用年 | 1990年(ソ連からの独立回復に伴い再採用) |
縦横比 | 7:11 |
デザイン |
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色の意味 |
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備考 |
エストニア学生団体「ウーシス(Vironia)」が1880年代に初めて使用。 |
エストニアの国旗は、青・黒・白の三色を横に並べたシンプルなデザイン。でもこの3つの色には、バルト海に面したエストニアの自然・歴史・そして自由への強い思いがしっかり詰まっているんです。特に独立と占領を繰り返してきたこの国では、旗はただの象徴ではなく“生き抜いてきた証”として、国民に深く愛されています。この記事では、エストニア国旗に込められた意味やその由来、似ている旗との違い、そして旗とともに歩んできたエストニアの歴史をやさしくひも解いていきます。
エストニアは、北ヨーロッパのバルト三国のひとつで、フィンランド湾を挟んでフィンランドの南側に位置する国です。首都はタリンで、中世の街並みがそのまま残る美しい旧市街が有名ですね。
歴史的には、デンマーク、スウェーデン、ドイツ、ロシアといった列強に支配された時代が長く、20世紀にはソビエト連邦の一部となっていたこともあります。でもそのたびに独立を目指す強い意志が生まれ、1991年にはふたたび主権国家としての地位を回復しました。
そんなエストニアの国旗には、自然への敬意と民族の誇りが込められているんです。
エストニアの国旗は、上から青・黒・白の横三色。この3色は、エストニアの自然・歴史・民族の心をそれぞれ表しています。
上部の青は、エストニアの澄んだ空や美しい湖の色を象徴しています。バルト海や森に囲まれた自然豊かな国にとって、空と水は生活の中心であり、希望と未来への象徴でもあるんです。
また、自由への憧れという意味も込められていて、占領や支配を受け続けた歴史の中で「空のように広く自由でありたい」という願いが重ねられているんですね。
中央の黒は、肥沃なエストニアの土と同時に、過去の苦難や民族の悲しみを象徴しています。長く続いた他国からの支配や、文化の抑圧、戦争による苦しみ――そういった“忘れてはいけない歴史”が、この黒に託されています。
同時に、民族衣装や伝統文化にも黒はよく使われており、エストニア人としてのアイデンティティを支える色でもあります。
最下部の白は、雪に覆われた冬の風景を思わせる色で、北国らしい静けさや清らかさを表しています。また、白は真実・光・勝利の象徴でもあり、厳しい冬を越えて春を迎えるように、苦難のあとに希望が訪れるというメッセージが込められているんです。
この3色の組み合わせが、エストニアの自然・民族・歴史・未来すべてを語っているんですね。
エストニア国旗の配色は独特で、同じ並びの国旗はほとんどありません。似たトーンの三色旗としてボツワナ、ドイツ、フィンランドなどが挙げられますが、青・黒・白を横に並べたものは、エストニアならでは。遠目で見てもすぐにわかる個性の強いデザインですね。
エストニア国旗の誕生と歩みは、民族意識の目覚めと独立の物語とぴったり重なります。何度も禁止され、奪われ、取り戻されたこの旗は、国の歴史そのものを象徴しているんです。
この三色旗は、1881年にエストニアの学生団体「ウェルノニア」が初めて使用したもの。民族の団結と文化の自立を掲げていた彼らが選んだ配色が、のちに国の象徴へと成長していきます。
「学生たちの旗」だったものが、次第に「国民の旗」へと広がっていくんですね。
第一次世界大戦後、エストニアはロシア帝国から独立を宣言。その際、青・黒・白の三色旗が正式な国旗として採用されます。
これは、他国からの支配を脱した自由国家の誕生を意味する、象徴的な出来事でした。
1940年、エストニアはソビエト連邦に併合され、三色旗は使用を禁じられます。代わりに使われたのは、赤地に鎌と槌の社会主義的な国旗でした。
でも1980年代後半から始まった“歌う革命”と呼ばれる非暴力の独立運動の中で、再びこの三色旗が登場。1991年の独立回復と同時に、正式に国旗として復活したんです。
エストニアの国旗は、自然の美しさ・民族の記憶・そして未来への希望が静かに息づくデザインです。青は空と自由、黒は大地と苦しみ、白は光と勝利。
占領されても、消されても、人々の心に生き続けてきた旗。
それが今では、独立と尊厳の象徴として世界に掲げられているんです。
この旗を見るたびに、エストニアという国がいかに静かに、でも確かに強くあろうとしてきたかが伝わってくるんですね!